最高の道具は「高性能」じゃない? 長く縫い続けて見つけた、6つの意外なこだわり

ミシン 洋裁について

これは洋裁の技術そのものについての話ではありません。
縫い始める、その手前でいつも考えていること。
技術というよりは、気分や、癖、あるいは考え方のようなものです。

長く縫い続けてきて、いつの間にか自然と身についていた感覚。
そんな言葉にしにくい小さな気づきを、短いコラムの形にしてお届けします。


冒頭このような言葉からはじまった6回のコラム。
年末年始にかけてお届けしてきました。
今日はそのまとめになります。

ぶひ子

アイロンは「性能」より「気分」

アイロンを選ぶとき、必ずしも高性能である必要はないのかもしれません。

大切なのは、自分が使い慣れていて、
棚から出すたびに「ちょっと気分が上がる」こと。
心を弾ませる道具は、作業そのものに丁寧に向き合うきっかけをくれます。
それは蒸気の量や温度設定よりも、ずっと大切な「性能」なのだと思います。

道具って、性能より「触りたいかどうか」だったりする。

今日も使おう、って思えること。
それが一番の性能かもしれない。

ブタぽ

気づくと無地ばかり選んでしまう理由

布を選ぶとき、気づけばいつも無地の生地を手に取ってしまいます。

その一番の理由は、「柄合わせ」という作業から解放される安心感です。

これは決して怠けているわけではなく、
創作プロセスの中で本当に集中したい部分のために、
意識的に頭のエネルギーを温存する選択。
それは、自分自身に対する一種の「やさしさ」なのです。

縫う前から消耗したくないんだと思う。
集中したいのは、そこじゃないから。

ブタいえい

でも、柄がピタッと合った日は、ちょっと誇らしい

無地を好む一方で、柄物を縫う日もあります。

そして、チェックのような柄が脇のラインでピタッと合った瞬間には、
静かで個人的な満足感がこみ上げてきます。
「よし…」と、ひとりで静かにうなずく。

普段は避けている小さな挑戦にあえて向き合うことが、
自分への特別な「ご褒美」のように感じられる瞬間です。

誰に見せるわけでもないのに、ちょっと誇らしい。

ブタわい

何でも自動、が少し物足りない理由

最新のコンピューターミシンは驚くほど高性能です。

ですが、時として少し物足りなさを感じます。
むしろ愛着が湧くのは、少し手間のかかる機械のほう。
音に耳を傾け、様子を観察しながら自分で調整する。
その達成感は、より記憶に深く刻まれます。
きっと私は、道具と深く関わる、その確かな手応えが欲しいのでしょう。

うまくいった時の「今のよかったな」が、ちゃんと残るから。

ブタじー

格安ミシンをいじりたくなる性分

高価なミシンでなくても、工夫次第で十分に美しい縫い目は作れます。

むしろ、安価なミシンが持つ「制限」は、決して欠点ではありません。
それは、どうすればうまくいくかを深く考え、
試行錯誤するきっかけを与えてくれます。

糸の調子や押さえの圧、縫うスピードを調整しながら、
「どうすればこの機械は機嫌よく動いてくれるだろう」と考える。
そのプロセスは、まるで機械と対話しているかのようです。
こうして道具は単なる機械から、かけがえのない「相棒」へと変わっていきます。

機械というより、相棒。

ブタかりかり

家庭用ミシン1台で、どこまで行けるか

結局、いつもこのテーマに立ち返ります。
ごく普通の家庭用ミシン1台で、一体どこまでできるのだろう、と。

無理をせず、けれど諦めず、工夫と観察、
そしてほんの少しの根性を頼りに進む、終わりのない実験です。

制限は弱さではなく、
自分の技術を育てるための大切なきっかけなのだと、ミシンが教えてくれます。

制限があるから、技術が育つ
私はたぶん、ずっとこの実験をしてる。

ブタ大丈夫

洋裁、そしておそらく多くのものづくりの本当の喜びは、
技術的な完璧さを超えたところにあります。
それは、道具との個人的な関係性の中に見出されたり、
エネルギーをどこに注ぐかという選択にあったり、
そして、あえて制限を受け入れることで得られる成長の中にあったりするのです。

このシリーズはまたあれこれと考えていきたいと思います。
最後はまたこの言葉で!今年もまたよろしくお願いします。

答えは一つじゃない。だから縫うのは面白い

LM
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ではまた♪

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