こんにちは!ガン子です。
この間は、私の長々しいブログを載せてしまってすみませんでした。
でも今日もかなり長いです。爆
当たり前ですが、ここはあおいばあさんの洋裁ブログなので、
興味のない方は、読まなくて大丈夫です・・・ハイ
今日も洋裁の話は一切!出てきませんから。笑
では、この前の続きです。
①がまだの方はこちらからどうぞ⇊
ポイント②「新政府が行った政治改革の内容とはなんなのか」
今回は、実際に新政府が何をしたのかというところをお話ししたいと思います。
細かく言えばいろいろあるのですが、これは「ざざっと」解説なので、大枠だけ簡単に説明します。
一つ目は「学制」。
(1872年)欧米の学校教育制度を取り入れて、6歳以上の男女はすべて小学校に通うように定めたものです。
二つ目は、「徴兵令」。
(1973年)欧米のような強力な軍隊を作るために、20歳となった男子に兵役を義務付けたものです。
三つめは、「地租改正」。
(1873年)江戸時代までは、税(年貢)は米でおさめるのが一般的でしたが、明治からは現金でおさめることとされました。それぞれの土地の値段(地価)を定めて、その3%を税としておさめさせる、というわけです。
四つ目は、「解放令」。
(1871年)。江戸時代の身分制度で差別されていた人々にたいして、その身分から自由になることを認めたものです。
では一つ一つ見ていきましょう。
「学制」
今の小学校制度につながるものですね。
ただ今と違って授業料が有料だったので、
余裕のない家庭は通わせることが難しかったんです。
「学校に行く時間があるなら家計を助けるために働いてほしいわ。」
そう思う親は多かったわけですね。
このころ、まだまだ子どもは「小さい大人」として労働力に数えられていましたから。
子どもの学ぶ権利が確立していくのはまだまだ先の話です。
実際、はじめのうちの男子の就学率は約半分ほど、女子はさらに低かったようです。
女子の就学率が低いのは、貧しさもあったと思いますが、
「女子に学問をさせても(どうせ嫁に行くだけだから)しょうがない」
と思う親がまだまだ多かった、という理由もあります。
「徴兵令」
江戸時代までは、日本の軍事的な部分は武士が担ってきました。
しかし明治の徴兵令は、武士農民関係なく、すべての男子に課せられたものです。
これに武士は、いたくプライドを傷つけられることになります。
「武士」と呼ばれる人々は、プライドの塊のような人たちです。
「誇り」や「名誉」のためなら簡単に切腹するような人たちなのです。
そのプライドは、日々の絶えまぬ鍛錬、幼少期からの武士道についての教育から生まれるのですが、
そんな人たちが、今まで刀も握ったことのない農民とひとくくりに「兵」だといわれ、
平気でいられるでしょうか。いやいられません!!(反語形)
では、農民たちはどうでしょう。
実は農民たちも徴兵されることをよくは思っていませんでした。
単純に考えて、農業というのは非常に人手がいる仕事です。
(昔は特に)力仕事ですから、男手は不可欠。
それなのに、徴兵令が出て、若く力のある男性たちが農村からいなくなってしまったら…困りますよね。
じゃあ武士だけにやらせりゃよかったじゃん!!と思うのですが、
武士は、江戸時代においては特権階級だったので、そもそもそんなに数がいません。
総人口のうち、武士が占める割合は約7%、一方農民の割合は80%を超えます。
単純に、武士だけでは近代的欧米に対抗できる大きな軍隊は作れなかったんですね。
それに、武士は刀の扱いに関しては非常に優れていますが、
新政府が目指しているのは近代的な武器(銃や大砲など)で戦う欧米のような軍隊です。
刀や一対一の戦いなどにこだわる武士は、
扱いにくくていやだとさえ思っていたのかもしれません。
そんなこんなでみんなにぶーぶー言われながらも徴兵が行われていきます。
ちなみに、長男や、一定の税をおさめている人(つまり金持ち)、病弱な人などは、徴兵が免除されていた、ということもつけ加えておきます。
「地租改正」
パッと見まともな政策に見えますが、私の予想ではこれが一番庶民の反感を買ったと思います。
なぜなら江戸時代が終わって明治時代となり、一番変わってほしいと期待していたのが、税制であったと思われるからです。
江戸時代末期、庶民たちはもともとキツかった税に加え、
凶作や開国による経済の混乱などで、非常に厳しい生活が続いていました。
そんな中新しい税制度がはじまる!と聞けば、
「今よりは楽にしてくれるだろう!」と誰でも期待します。
しかし!
米から現金に納税方法が変わったと同時に、
それまで収穫高で決まっていた税高が、毎年一定の金額になりました。
つまり、
江戸時代までは天候の影響などで米がそれほどとれなかった年は、
それに合わせて少ない税でよかったりしたのですが、
その制度がなくなったのです。
米じゃなくて現金でおさめるんだからよくね?と思うかもしれませんが、
先ほども言った通り、江戸時代の農民の割合は、総人口の8割をしめています。
つまり、ほとんどの人が、米を元手にお金を用意しているのです。
ということは、お金を用意するためには換金するための米が必要。
でも、米がない年にも同じだけの税を課せられる。
つまり江戸時代よりもきつくなってしまったわけですね。
ただ政府側の事情としても、毎年決まったお金が入ってこなければ、
近代的な装備を用意するなどのお金がかかることが出来なくなってしまい、
ますます欧米に後れをとることになってしまいます
やむを得ずの決断だったと思います。
しかし、農民たちの不満は、徴兵制への不満と合わせて高まりに高まり!
各地で一揆が起こることになるわけですね。
「解放令」
最後に解放令についてですが、結論から言うとこれもうまくいきませんでした。
法律的に身分制度がなくなっても、人の心はそう簡単に変わりません。
現代日本でも、男女平等とかいう割に、
共働き家庭では、まだまだ家事育児の女性の負担が大きいし、
管理職なども圧倒的に男性が多いです。
それと同じですね。
差別されていた人々は、
解放令のあとでも、就職・結婚・教育・居住など、
あらゆることで差別され続けることになります。
しかし解放令が出されたことで、法律的な後ろ盾を得た人々は、
自分たちの権利を取り戻すために、少しずつ行動しだすことになるのです。
はい!!長いですね!!(ホントだよ)
つまりまとめると、
「いろいろ改革やったけど、不満を持つ人がけっこういたよ!」
ってことです!!ざっくり!!
さてここから
- 明治の日本はどうなっていくのか!
- 不満を持つ人々はどうなったのか?
- 武士は?庶民は?日本は欧米においつけるのか?
- はたしてこの記事を最後まで読んでくれる人はいるのか?
こうご期待!!続きます!!(たぶん)
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